東浩紀さんがちょっと心配

東浩紀さんのブログのここ最近のエントリーでは明らかに文学フリマという祭りのあとの疲れが見て取れるので心配です。
採点方法に追加ルールができたり、関門突破者の人数が増えたりしたことについて批判があることが原因のようです。
しかし、東さんはそういう声を気にしなくてもいいと思います。
ゼロアカ道場は最初から「批評家育成のためのプログラム」というコンセプトを提示していて、書籍企画の公募やコンテストではないわけです。
オリンピック競技みたいな公平性は不要だし、そもそも不可能なコンセプトです。
道場主の東さんは公平性がどうだとかひいきだなんだとか言われても気にせずどんと構えていればいいのです。
コンセプトを誤解した声に耳を傾けていると、この企画そのものがブレてしまいます。


例えば文学フリマのサークルカタログはテキストのみで、イラストのいわゆる“サークルカット”は受け付けていません。
これは第三回の頃に文学フリマのコンセプトの一環として決めたことです。
時々「サークルカットも受け付けて欲しい」という意見は寄せられるのですが、「文学フリマはコミック系の即売会とはコンセプトが異なるので受け付けていません」と返信しています。
こういうことは「文学フリマはどういうイベントか」、「どういうイベントにしていくのか」という指針から決めたことで、良いか悪いかとか、正しいか間違ってるかとかそういう問題ではありません。
これを「要望があったのでカタログにイラストも載せましょう、もっとコミック系のサークルが参加しやすいようにしましょう」とやっていったら、文学フリマの主旨がどんどんブレていってしまうわけです。
ゼロアカ道場もまたしかりでしょう。


もう一つ感じるのは、ネット上の文章は難しいなということ。
東さんは上述のミヒロさんのブログで「フランス乞食の本をあのタイミングで買うのは反則」と書かれたことに反応しているわけですが、むしろミヒロさんのほうが東さんにプレッシャーを与えてしまったことに困惑しているのではないでしょうか。
ミヒロさんに悪気はなかったでしょうが、色々な声が渦巻いている中では例えネタでも東さんにはつらい言葉だったと思います。
考えてみれば、私もミヒロさんのブログを読んで「人の縁って不思議だなー」なんて感慨にふけっているだけですが、そこで「恩義を感じてるなら一言くらい挨拶があってしかるべきだろ!」と激怒することもできる。
ニュアンスが伝わってくるからそんなことはないのですが。
ともかく、東さんはそんなに気にする必要はないと、そう思うのです。