以前、新聞に寄稿したコラム「ライトノベルという現象」
昨日の電話取材で話しつつ、自分もまた文学フリマで同人誌を出さないとなという気持ちを新たにした望月です。
思い立って昔の原稿を読み返していました。
せっかくなので、ここに採録しておきます。
新聞掲載時に記者が付した小見出しもそのまま再現してみました。
なお、この原稿は2年前に発表したものなので、ちょっと古い話題もあります。
そのあたりのことを踏まえてお読みください。
ライトノベルという現象
ライトノベルという言葉をご存じだろうか。若者を中心に広く読まれている小説群を指す言葉で、近年は時ならぬライトノベルブームであるという。その証拠に、本屋ではライトノベルのコーナーが棚の一角を占めており、解説本が何種類も並んでいる。
中高生読者の共感
では、ライトノベルとは具体的にどのような小説を指すのか。傾向としてはマンガ・アニメ調イラストのカバーと挿し絵がある本、あるいはそれをフォーマットとする電撃文庫や角川スニーカー文庫といった特定のレーベルから出る本のことであり、内容的にはアニメ・ゲーム・マンガ等との関連性が強く、若くしてデビューした作者が同時代感覚を持つティーンエイジャーを読者層として書く小説のことと言われている。しかしこの説明は「正確な定義はない」と留保をつけられることが多い。なぜならこの条件に従うと、例えばテキストだけを抜き出して読んだ場合、それがSFやファンタジーやミステリーであると言えてもライトノベルであるとは判断できないことになるからだ。
つまり、そもそもライトノベルとは「1ジャンル」として確定できない要素を含んだ用語と考えなくてはいけない。これを私なりに定義づけるなら、ライトノベルとは主に中高生の読者が「こんな小説を自分も書いてみたい(書けるかもしれない)」という共感を抱く作品、およびそのような敷居の低い読者と作者の関係性を指す言葉であり、ジャンルではなく現象なのである。大正時代の若者が白秋や犀星や朔太郎に刺激されて詩を書きたいと思ったような情熱が、今のライトノベルという現象を支えている。同じ「肩書き」でも
よってライトノベルは読者がブログで感想を書き綴るのに適した作品群であり、そこでは作者のプロフィールも重要なサブテキストとして読まれている。『神様家族』などラブコメという極端にマンガ的なジャンルを得意とする桑島由一と、『NHKにようこそ!』などの鬱な青春小説で現代の太宰治とまで評される滝本竜彦は、その作風の違いにも関わらず「ひきこもり出身」という肩書きにおいて同じライトノベル作家なのである。
またライトノベルは、海外に比べSFやファンタジーが根付かなかった日本でそれらの受容を広げた功績もある。『マルドゥック・スクランブル』でSF大賞を獲った冲方丁、抒情と機知に富む異世界ファンタジー『キノの旅』の時雨沢恵一、また『空の境界』でPCゲームの世界から一躍新伝奇ミステリーの旗手となった奈須きのこなどは、ライトノベルという現象がなければ世にでなかった才能かもしれない。“卒業”と“入学”と
しかし、各々の資質を伸ばすことでライトノベルを〈卒業〉しつつある作家もおり、読者も一緒に〈卒業〉していく。作家・読者双方を一般のジャンルに輩出していくことでブームは沈静化し「ライトノベルは亡びた」などと囁かれる日も近いだろう。もちろん、そう簡単に亡びたりはしない。ライトノベル系のレーベルは例外なく新人賞に力を入れており、自前で発掘した人材がヒット作を生み、新しい読者を広げる仕組みがある。活字離れが叫ばれる昨今、ライトノベルは中高生の読者を開拓し、結果として小説の読者を育てる役割を担っているのである。その存在は決して「軽い」ものではない。21世紀の文学愛好者の誰もが通過する若気の至りとしての「明るい」読書体験。それがライトノベルの近未来の姿ではないだろうか。(初出:「しんぶん赤旗」2006年2月14日)
この原稿の発表後、紙屋高雪さん*1に「紙屋研究所」の読書レビュー“文化運動としてのライトノベル 新城カズマ『ライトノベル「超」入門』 *2”で好意的に紹介していただきました。
自分としてはこの原稿で「不毛な論議」と言われて久しい【ライトノベルの定義】にあえて挑むのだという意識があったので、その部分を評価していただいたのはとても嬉しいことでした。
また、これがきっかけとなり『子ども白書〈2006〉』(草土文化)*3でライトノベルの項を担当することになったのでした。
こういった反響は自分でも驚きましたね。
*1:
*2:
*3: 子ども白書〈2006〉子どもを大切にする国・しない国Part.2―人口減少時代の未来をひらく想像力